日記

お涙頂戴

人間は、涙を流すことで苦しみから解放され、
前進へのきっかけとすることができます。

本を読むのも、映画を観るのも、音楽を聞くのも、

「泣きたいため。」

という理由が多かれ少なかれあることは確かです。

「お涙頂戴」という言葉は、褒め言葉ではなく貶し言葉として
使われることが多いですが、受け手の心を大きく揺さぶり、
涙を流してもらうのは実に難しいことです。

特に映画人や音楽家、作家、画家などの創作家たちは、
「お涙頂戴」を嫌い、「抑制」という言葉のほうに
惹かれる傾向がありますが、それは単なるポーズ、
「かっこつけ」の類だと僕は思っています。

「お涙頂戴」を少しも意識しないクリエイターなど
果たしてこの世に存在するでしょうか。

自分の作品を通して人を感動させ、
できることなら涙をひとつぶでも流して欲しいと願うのは、
創作家であればみんな思っていることでしょう。

そんな風に願っていても、
それを実現するのはなかなか難しいものです。

たとえば映画を例にしてみますと、悲しい場面に悲しい音楽を
付けるとたちまち白けてしまい、酷い時には、大真面目にやって
いるにもかかわらずコメディーのようになってしまいます。
「お涙頂戴」どころか、無感動、挙句の果てには笑いまで
誘ってしまうという結果にもなりかねません。

かといって、それでは悲しい場面に明るい音楽を付けてみては
どうだろうということになりますが、これには確かに一定の効果
がありますが(たとえば、大切な人の死の知らせを聞いた主人公
の部屋にあるラジオから突然明るい音楽が鳴り出すなど、悲しみ
とのコントラストを強調する手法があります。)、これらは
すでにあまりにもたくさん使われていて新しくありません。
使い古された表現手法は、「ああ、またか。」という印象を
受け手の心に残してしまい、感動や涙から遠ざけてしまいます。

受け手の感動と涙のために、最良の表現手段を模索することは、
とても根気の要る作業となります。

そのような面倒事から逃れたいがために「お涙頂戴」を避ける
ような態度を取るのは、表現者としての「逃げ」だと思います。

泣いてもらえたら嬉しいくせに。

作曲家・株式会社サウンドジュエルデザイナーズ 代表取締役/青森県出身・横浜市在住/映画音楽、テレビやCMの音楽、歌、舞台音楽など、幅広い色彩の音楽を、繊細な音楽表現で描いています。主な作品は、映画『校庭に東風吹いて』、『ひまわり 沖縄は忘れない あの日の空を』、『アンダンテ 稲の旋律』、テレビアニメ『アスタロッテのおもちゃ!』など。特技は、集中力が長時間持続すること。好きなものは、美しいもの、映画、本、マカロン、チョコレート、高い所。好きな言葉は、「芸術家は弱者の味方である」。ドストエフスキー、太宰治、寺山修司、芥川龍之介、江戸川乱歩、夢野久作などを愛読しています。
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