懐かしいテレビ番組や大切なプライベート映像を、
ビデオテープで保管していらっしゃる方も多いと思います。
しかし、すでにビデオデッキは電気屋さんに行っても買えず、
ビデオテープはそのままでは見ることができないため、
全てのビデオテープはゴミとなってしまう可能性があります。
このように、ハードウェアの衰退によって、大切なソフトウェア
にアクセスできなくなってしまう事例はたくさんありますね。
一世を風靡したMD(ソニー製デジタルミニディスク)でさえ
そのような運命に見舞われたのですから、今安心して持っている
CDやDVD、HDDだって、この先どうなるか誰にも分かりません。
ハードウェアには末永い存続を、
ソフトウェアには豊かな内容が求められます。
たとえば、家をハードウェア、住んでいる家族をソフトウェアに
例えてみましょう。
家には耐久性や安心感、雨風を凌ぐ丈夫さが求められます。
新築の家が10年後には壊れて無くなってしまったというのでは
困るわけです。
しかし、いくら立派な家を用意しても、その中に住む家族が
豊かで幸せなものでなければ、悲しい結果になるでしょう。
ソフトウェアである家族の幸せを追求することが必要です。
逆に考えることもできます。
家族というソフトウェアがいかに満たされたものであっても、
それが入る箱(家というハードウェア)が安心を担保できない
ものである場合、いつのまにかソフトウェア(家族の幸せ)を
じゅうぶんに感じることができなくなってしまうでしょう。
ハードウェアの耐久性とソフトウェアの豊かさ。
この両方は切り離すことができず、
どちらのメンテナンスにも心血を注がなければならないのです。
壊れかけのタイムマシン/作曲:山谷 知明