日記

ヘッドセットマイクのお医者さん

パソコンやインターネット、スマートフォンの普及によって、
僕たちの生活はずいぶんと便利になりましたね。

むかしは何人ものプロが何時間もかかって作っていたものが、
今ではたった一人であっという間に作れるようになりましたし、
遠くに住んでいる人ともお金をかけずに
コミュニケーションできるようになりました。

しかし、新しい機器を手にした時、
その機器を操作する新鮮さに心が支配され、
逆に時間を取られてしまうということがあります。

以前、のどの調子が悪くて耳鼻咽喉科を訪れた時に、
名前を呼ばれて診察室に入ったら、
重そうなヘッドセットマイクを頭に付けたお医者さんが
いきなり目の前に現れて驚きました。

お医者さんは通常、カルテを手書きで書くものですが、
このお医者さんは、頭に付けられたマイクを通して話し、
音声認識技術によって、話した言葉をそのままパソコンに
テキストとして入力していく、という方法を取っていたのです。

「ナマエ、ヤマヤトモアキ。」

といきなりヘッドセットマイクを通して話し始めました。

最初、僕はそれが自分に話しかけたのだと勘違いをして、

「はい。」

と返事をしてしまったところ、その「はい。」を、
先生の頭のヘッドセットマイクが拾ってしまったらしく、
パソコンの画面に「はい。」と入力されてしまい、先生が、

「きみ、返事をしてはいかんよ。」

と言いながら、バックスペースキーを連打して、
僕のその「はい。」を削除しました。

次に、症状を訊かれましたので

「のどの調子が悪いのです。」

と話したところ、僕の滑舌が悪かったのかうまく認識されず、
何だかヘンテコなテキストが入力されてしまいました。

先生は再びバックスペースキーを連打して、
僕のその意味不明なテキストを削除し、

「もう一回言ってください。」

と言い、頭に付けたヘッドセットマイクのマイクの部分を
僕の口元に近づけようとして椅子から中腰になり、
かなり不自然な恰好になりながら僕に近づいてきました。

まるで今にも先生と口づけを交わすかのような苦しい体制のまま

「ノドノチョウシガワルイデス。」

と再び言ってみましたが、またうまく認識されなかったようで、
先生はイライラした様子で、激しい音を立てながら
バックスペースキーを連打してテキストを消し、
とうとう自分の声で

「ノドノチョウシガワルイデス。」

とヘッドセットマイクに向かっておっしゃいました。

しかしそれでも認識されませんでした。

僕は「良かった!・・・自分の声のせいではなかった・・・」
と安堵しました。

先生はかなりいまいましそうな様子で、
とうとう机の上のキーボードで「喉の不調」と入力したのです。

このような有様ですので、
明らかに手入力のほうが診察時間は短く済むはずなのですが、
この先生は「ヘッドセットマイクでカルテを書く」
ということから逃れることができなくなっていたのです。

テクノロジーを駆使してそれなりの効果があるのなら
活用すべきだと思いますが、このお医者さんの場合は、
時間ばかりかかって、結局は手作業でカルテを書くので、
「ヘッドセットマイクを頭に付けた普通のお医者さん」
ということになってしまいました。

パソコンやインターネット、スマートフォンにおいては
こういうことはよくあるもので、
紙と鉛筆があれば数秒で済むことに、
あえてたくさんの時間をかけてやる必要はまったくありません。

作曲家・株式会社サウンドジュエルデザイナーズ 代表取締役/青森県出身・横浜市在住/映画音楽、テレビやCMの音楽、歌、舞台音楽など、幅広い色彩の音楽を、繊細な音楽表現で描いています。主な作品は、映画『校庭に東風吹いて』、『ひまわり 沖縄は忘れない あの日の空を』、『アンダンテ 稲の旋律』、テレビアニメ『アスタロッテのおもちゃ!』など。特技は、集中力が長時間持続すること。好きなものは、美しいもの、映画、本、マカロン、チョコレート、高い所。好きな言葉は、「芸術家は弱者の味方である」。ドストエフスキー、太宰治、寺山修司、芥川龍之介、江戸川乱歩、夢野久作などを愛読しています。