商談や恋愛など、いわゆる「交渉ごと」においては、
「必死さ」というのがアダとなってしまうことがあります。
必死な姿は、「余裕の無さ」として印象付けられ、
小さい人間、雑な人間、焦りや臆病さとして
受け取られてしまうからでしょう。
しかし、「必死である」ということはいけないことでしょうか。
僕はそうは思いません。
むしろ、生きるため、夢を叶えるため、関係を維持するため、
必死になって問題に立ち向かっている人の姿を
僕はとても美しいと思います。
必死のあまり、行動がバタバタして粗雑で見苦しくなる場合も
ありますが、それはそれで人間の可愛らしさであると思います。
そして、大勝負に挑むポーカーフェイスの裏側にある
心理的葛藤や必死さは人間のもっとも愛すべき部分ですね。
水上をスイスイと優雅に泳いでいる水鳥だって、
水面下では必死に足をバタつかせているものです。