日記

無償の愛

先日、ある有名な哲学家の女性にお会いする機会があり、
「無償の愛」について語り合いました。
結論から言えば「無償の愛」は存在しない、ということでした。
まず最初に言っておかなければいけないのは、
この場合の「無償」とは「金銭」のことではありません。
「金銭」以外で、たとえば「うれしい」とか
「幸せだ」というような「心理的な快感」も受け取らないことを
「無償」と定義します。
たとえば、大切な人にプレゼントをするような時、
プレゼントをすることによって相手が喜び、その笑顔を見て、
贈った自分自身もうれしくなります。
つまりプレゼントをしたのは、
自分も「うれしさ」を感じるためだった
ということになってしまいますね。
よく「子供に対する愛は無償の愛だ」などと言われますが、
果たしてそうでしょうか?
子供に愛を注ぎ、その子が健やかに育つのを見て、
親は安心感を得るはずです。
その安心感は「快感」ですね。
つまり、子供に愛を注いで、親たち自身もまた快感を得た、
ということになってしまいます。
勘のいい方はもうお分かりだと思いますが、
「無償の愛」という言葉には矛盾が潜んでいたのです。
まず、「うれしさ」を感じた時点で、もう
「快感」を受け取ってしまっているので、
「無償」ではなくなってしまっています。
しかし、「愛」というのは、
「相手も喜び、同時に自分も喜ぶこと」であり、
「快感を共有すること」に他なりません。
つまり、「無償の愛」とは、
■自分はうれしくなってはいけない
■自分もうれしくなる
という二つの相反する要素が同居している
「矛盾語」だということになります。
「無償の愛」「見返りを求めない愛」など、
この世には存在しなかったのです。
なぜなら、大切な人の喜ぶ顔を見て、
うれしさを感じない人間など、この世界にはいないからです。

作曲家・株式会社サウンドジュエルデザイナーズ 代表取締役/青森県出身・横浜市在住/映画音楽、テレビやCMの音楽、歌、舞台音楽など、幅広い色彩の音楽を、繊細な音楽表現で描いています。主な作品は、映画『校庭に東風吹いて』、『ひまわり 沖縄は忘れない あの日の空を』、『アンダンテ 稲の旋律』、テレビアニメ『アスタロッテのおもちゃ!』など。特技は、集中力が長時間持続すること。好きなものは、美しいもの、映画、本、マカロン、チョコレート、高い所。好きな言葉は、「芸術家は弱者の味方である」。ドストエフスキー、太宰治、寺山修司、芥川龍之介、江戸川乱歩、夢野久作などを愛読しています。